春日山城跡めぐり
2013年5月19日 日曜日 晴れのち曇り ちょっと雨
ちかいうちに歩いてみたいと思っている旧三国街道。
三国街道といえば、かの上杉謙信公が関東出兵時に何度も超えた峠であります。
で、謙信軍勢が上越の春日山から安塚、大島、松之山、十日町、塩沢、浅貝と通り三国峠とくるこの道が「上杉軍道」であります。
で、謙信軍道のひとつ、松之山街道の一部が日本歴史の道100選に選ばれているので、これもまた気になるわけでして。いくつか城跡もありますし、ひとつひとつ訪ねてみたいなと。いくつかは訪れたのですが、もう一度見たいものもありますし、
ま、いろいろやりたいことが山ほどあるのです!
ってことで、今回は、出発点の春日山城を訪ねてみました。
久しぶりの春日山です。今回は復元されたという「大手道」から歩いてみました。
誰もいない静かな道です。 いい感じのカーブです
きれいに復元されています。 妄想しながら歩きます♪
番所跡 木戸が作られていた土塁跡
番所から見える本丸 当時はこんなにもっこり木々がなかったでしょうから、天守がよく見えたことでしょう。
途中で分かれ道もありますが、迷うことはありませぬ。
ウラジロヨウラク (裏白瓔珞) つつじ科
咲き始めたばかりって感じです。
シャガ(著莪)(胡蝶花) アヤメ科
春日山はいたるところにシャガが咲いておりました。
ちょっとした広場にでました。 城郭の始まりのところ。
またしばらく歩きます。
風がソヨソヨと涼しく、森からはホーホケキョ♬♬
400年を経ても、風の匂い、鳥の声は当時と変わらないはずです。
タイムスリップしているような気になります。 妄想中♪
「急登を登るとパッと視界が開ける!、方向感覚が失われそう」と紹介されいる場所。本当にパッと視界が開けました!
ジュウニキランソウでしょうか。
大手道はここから屋敷跡を通り本丸へと続きます。 虎口ですかね。
御館の乱で家督争いをした三郎景虎屋敷よりも本丸に近い位置にありました。
で、ここが上杉三郎景虎屋敷跡 三の丸となります。
三の丸は土塁にしっかりと囲まれた米蔵庫がありました。
三郎景虎屋敷はこの三の丸に位置しているので、食料貯蔵地はかなり重要な場所なので、謙信からの信頼が厚かったのだと思われます。
城郭内には今でも水が絶えない大井戸があります。大きいです。
とのこと。
西方の山々って妙高・火打山だね、きっと。つながっているんだね。
湧水が出ることを知ってて、ここに城を造ったのかな。
天然の湧水が確保できることは強みだよ。
食料よりもまずは水。命の水でしょう。
渇れることなくこんこんを今もなお湧き出ているなんてすごいよね。
直江兼続屋敷跡
3段構造の広々とした屋敷跡です。
兼続といえば、大河ドラマ「天地人」の主人公、上杉景勝を支えた重臣、「愛」の前立ての、あの兼続です。
出身は南魚沼市「坂戸城」下、
幼少の名を「与六」といいます。
私達は親しみを込めて「お六」と呼んでます。
直江家の養子として、ここ春日山に景勝とともに移ってきました。
これが虎口という城に入る玄関です。
敵が簡単に入り込まないためにわざとグルリと道を食い違いに回しています。
もみじの花でしょうか。
兼続屋敷跡に沢山咲いていました。
天守・本丸です。
天守からみた景色がお見事!
謙信出陣の前に戦勝を祈願したという、かの有名な毘沙門堂。
復元されたものです。 毘沙門堂の中には毘沙門天(複製)が見えます。
堂々たる木々達
屋敷巡りを終えて、春日神社に向かうと、
御館様ではないですか〜♥
景勝様も兼続様もこ、こ、こんなところに!
なかなかの美男でござります!
兼続様〜! お久しゅうございました♥
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり
何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。
死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。
運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。
武士なれば、わが進むべき道はこれほかなしと、自らに運を定めるべし」
上越おもてなし隊 まさかここでお会いできるとは思ってもみませんでした。
春日山の後は、もちろん、林泉寺です。
定番コースですね
いい旅ができました。